フラまと 読んで楽しく、お役立ちな情報満載!「フラットまとめ」 収録 242 件☆

涙無しには見られない泣けるコピペ集

読むだけで涙のあふれるような悲しくなるコピペ集です。
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2021-02-18 14:35:48

読むと悲しくなるコピペの数々

家族系泣けるコピペ

娘が六歳で死んだ
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。

直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
葬式には別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく、機械的にすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。
北海道を襲った暴風雪。車を捨てて歩き始めた父は、猛烈な地吹雪の中、たった一人の娘を守ろうと、10時間にわたって覆いかぶさるように抱きしめながら体温を奪われ命を落とした。


「大丈夫か」。3日午前7時すぎ、湧別町東の牧場用倉庫前で、雪の中に黒色の上着の一部を見つけた道警遠軽署員が大声を出した。

雪を払いのけると、同町の漁師、岡田幹男さん(53)が小学3年の長女夏音(なつね)さん(9)を両手で抱きかかえながら、うつぶせに倒れているのが見つかり、その胸の下にスキーウエア姿の夏音さんが泣きながら震えていた。

岡田さんは風が吹いていた北側に背を向けていたといい、夏音さんは低体温症ながら命に別条はなかったが、岡田さんは搬送先の病院で凍死が確認された。



同署によると、岡田さんは2日午後に夏音さんと一緒に知人宅に向かったが、同4時ごろ、携帯電話で「車が雪にはまり動けない。車を捨てて歩いて行く」と連絡があった。その後、

連絡が取れなくなった。車は同9時半ごろ、自宅から約1.5キロ西の道路脇の雪山に突っ込んだ状態で発見され、そこから約300メートル先の倉庫の前で2人は見つかった。

倉庫の50メートル先には民家があったが、吹雪で気づかなかったとみられる。

知人らによると、岡田さんは2年前に妻を亡くし、夏音さんと2人暮らし。近所の男性(51)は「一人娘をとにかく可愛がっていた。守りたい一心だったのでは」と話す。

別の知人によると、夏音さんは病院で「お父さんはどうなったんですか」としきりに気にする様子だったという。
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。

それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。

それほど簡単なことを私はしてこなかった。
ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。
それを父親が目撃し止めに入る。

父『コラコラどうしたんだお前たち』

兄『どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ』

父『お前たち……』

うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて部屋をあとにした父親。
すると、また言い争いが始まる

兄『お前のほうだよ!』

妹『お兄ちゃんよ!』
昨日気がついたら車で3時間かかるのにいつの間にか実家に帰っていた。
案の定、お袋は
「突然どうしたの?何かあったの?」
と心配ばかり。
思わず
「何もないけど・・・帰ってきたら不都合だった?」
と悪態ついてしまった・・・

その後、ゆっくりテレビを見ていたら、お袋が
「風呂丁度いいけどついでに入る?」
と言って来た。
言われるがままに風呂に入った。

かーちゃん・・・綺麗な湯と背中に感じる冷たい浴槽が身にしみるよ。
この寒い中、冷えた残り湯で俺の為だけに風呂を洗って急いで
湯を張ってるお袋の姿がハッキリ見えて、風呂場で泣いた。

風呂から上がると晩飯ができていた。
お袋は
「大したものじゃないけど、晩御飯の残り物で悪いけど
 コレでも食べて明日からも頑張ってね。」
と・・・

食器を下げる時に気付いた。
晩御飯の残り物は白飯だけじゃないか・・・
他の料理は明らかに今作った物だった。
「上手かった!」
とだけ言い残しトイレに行った。
お袋の気持ちを考えて・・・又泣いた・・・
サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。
 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。
 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。
 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。
 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに


そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
 ……
 サキちゃん。今日で本当にお別れです。
 ……
 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
 ママ、もっと生きたい…。
 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
 あなたの成長を見つめていたい…。
 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
 それは、『ママを忘れる魔法』です。
 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。
パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。
天国のママに見てもらうために
母子家庭だったうちは貧乏極まりなかった。
高校になってから、毎日お弁当を作ってくれたんだけど、友達のほとんどは学食で食べていて、弁当持参がとても嫌だった。
ある日、いつものように弁当を作ってくれた母親に「お前の弁当なんていらねーんだよ!」と台所に捨ててしまった。
キョトンとした後に悲しそうなあの表情、今でも忘れられない。その後怒るどころか、「ごめんな、料理下手だから気に食わないんだね」って泣いてた。
結局その後お弁当は作らずに、毎日400円貰ってた。母親の稼ぎは相当低かったのに、やりくりして出してたんだろうな。
何度も謝ろうとしたんだけど、結局言い出せなかった。
そんな俺も社会人になったんだが、母親がガンで逝ってしまった。
家を片付けてると、学生の時に作ってくれていた弁当箱を発見した。
結局、弁当を捨ててしまった事は話題すらしなく謝れないままだった。
朝早起きしてくれて作ってくれてたお弁当、愛情がこもったお弁当、なんであんな事してしまったんだろう、なんで謝れなかったんだろうって今でも後悔しまくり。
自炊するたびに、母ちゃんは手間隙かけて作ってくれてたんだなぁって痛感するよ。
本当にごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、むしのいい話ですが、お母さんのお弁当が食べたいです!
母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
何も言えなかったから何でもかんでも
母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。


お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
無事に生まれてくれたらいいな。
俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。

俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。

お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
お母さん、天国から俺の事見える?
俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。

最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
「お母さん、生んでくれてありがとう」
あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、
日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、
母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。

ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった。

時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。

弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。

そして後日、その定食屋に行って見た。
定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。

そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。

腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った
「沖縄に行かない?」
いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。

それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には
「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。

自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。

そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・。

涙が止まらなかった。
還暦を迎えた母に誕生日おめでとうメールを送った返信。

件名:ありがとう
本文:ついに60代になってしまいました。
思い返せば、30代は小さなあなた方を夢中で見つめていました。
40代は、若々しく成長していくあなた方に見とれていました。
50代は頼もしく輝いていくあなた方に目を奪われていました。
あなた方がみんな素敵な伴侶を見つけ、巣立って行ってから迎えた60代は
20代の頃に戻ってもう一度お父さんと見つめ合おうと思います。


うっかり感動してしまった。
夏休みで実家に帰省していた最後の日に母親が
「これ持っていきなさい」と、おにぎりを渡された。
すでにタオルや洗剤を、お土産?として持たされていた俺は、
「これ以上は、荷物が増えるから、こんなんいらねー」って断ったんだけど、
母親は「いいから、この位持っていけるでしょッ」と強引にカバンに詰め込みました。
それで、お互いにムッとして気まずいままに、俺は実家を出ました。
でも実際、住んでいる所へ戻る途中、お腹が空いたので、
そのおにぎりを食べたのですが、何年かぶりに食べた母親の大きなおにぎりは、
コンビニのおにぎりよりも断然に美味しかった。

母さん、ゴメンナサイ、アリガトウ。
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
~~
それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。

事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。

やがて判明した死因は自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。
漏れが就職して初めてのボーナスが出た日、職場の皆で呑みに行った。
ベロベロに酔っ払って、ゲーセンは行ったらケーキの形したぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。
3000円ぐらい使って1コ取って、気になってた同僚の女の子にあげようと思ったら、「いらな~い」って言われた。
どうしていいやらわからずに、とりあえずカバンに入れてそのまま持って帰った。
ケーキのイチゴの部分を押すと、電子メロディで「ハッピーバースデー」の曲が流れた。
ちょうど母親の誕生日が近かったので、それとなく「母ちゃん、これあげる」って渡した。
今まで誕生日プレゼントなんてあげたのは2、3回しかなかった。照れくさかったから。
母親は驚いた顔をしつつ、ニコニコしながら受け取った。
「ここを押すとメロディが流れるから」って教えると、延々とハッピーバースデーを聴いていた。

2年後の母親の誕生日。
仕事がキツくて夜中まで働いた翌朝、起きる時間まであと20分あった。
朝の20分の睡眠時間は貴重だった。
なのに、耳元で耳障りな電子音が聞こえてきた。
例のケーキのぬいぐるみだった。
母親が、
「メロディ止まらなくなっちゃったのよ、なんとかして」
と言って立っていた。

「知らねーよ。眠いんだから出て行け」

と言ったら、母親はぬいぐるみを俺の枕元に置いていった。
けたたましく鳴り響くハッピーバースデーのメロディに、漏れはブチ切れて

「ふざけんなよ、うるせーんだよ!」

といってぬいぐるみを廊下に叩きつけた。
唖然としてぬいぐるみを拾い上げる母親。
メロディは鳴らなくなっていた。
母親がうっすらと涙を浮かべていたのに気が付いてはいたが、そのままベッドにもぐりこんだ。

朝食は無言のまま。バツが悪いのでさっさと出勤した。


それから母親がそのぬいぐるみの事を口にする事はなかった。
でも、漏れは知っている。押入れのたんすの中にそっとしまわれている事を。
もう8年ぐらい前の話だ。

母親はまだ健在だが、どうしてもあの時自分がしてしまった事を後悔している。
なんとか、あのぬいぐるみを直してやりたい。

誰か、知らないだろうか?
ボタン電池ぐらいの大きさで、押すと電子メロディでハッピーバースデーが流れる小さな回路を。
どこか売っていたら教えてくれ。頼むから…
一時間に一本くらいしか電車が通らない田舎に、
5才くらいの子供とその両親が旅行にきていた。
ダイヤの関係で、ある駅で電車が3分ほど止まってた。
お父さんはお母さんと子供を車内に残して、ホームに出て写真を撮り始めた。
すると電車がすぐに出発してしまうと思った子供が、
「お父さんが置いてかれちゃう!」って泣き出した。
お母さんがなだめるも、泣き止まない子供。
「お父さん! 早く乗って! 置いてかれちゃう! お父さぃやぁぁぁ!!」
周りの客がそれ見て、優しい子供だなぁとか言って笑ってた。
久しぶりにいいものを見た。
お父さんは置いてかれた。
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った
写真らしかった。俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、
見たがらないものをあまり 無理強いするのもよくないと思って、
そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には
父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
とても好きだったんだけれど、
おっとりした人で、
神経質な私をいらいらさせることもあった。

でも夫は、仕事のことで不機嫌になり、
なにも悪くない夫のことを
私が邪険に取り扱っているときでも、
いつも私のことを気遣ってくれる人だった。

私が体調悪いときは、
仕事を途中で抜け出して帰宅し、
その後仕事に戻って徹夜するような、
自分がどんなに無理しても
私の面倒を見てくれる人だった。

夫婦の家事分担は、
私も仕事を持っていたので、
食事・洗濯等は私がやる代わりに、
使用した食器の洗浄は
夫の担当ということになっていた。

当時夫は、連日日が替わってから
家に帰るほどの激務が,2ヶ月も続いていた。
でも文句も言わず、
深夜私が寝付いた後に帰宅して、
私が用意しておいた食事を食べ、
夜中に私の分も含めて
ちゃんと食器を洗ってくれていた。

そんなある朝、私が起きると、
台所に洗っていないままの食器が放置されていた。
きれい好き、整理整頓好きだった私は、
我慢が出来ず、その後起きてきた夫をなじった。

「ちゃんと洗っておくって約束したでしょ!
なんでやってないの!!」
夫は「ごめん、やるつもりだったんだよ。
でももう3時前だったし、
疲れてベッドに横になってたら、 寝ちゃってて。」
「まだ時間あるから出勤前にやっておくよ」
と謝ってきた。

私は、「言い過ぎた!ごめん!」
と思ったが、なぜか態度には出せず
「私が帰る前にちゃんと洗っておいてね。
でないともうご飯作ってあげないよ。」
と言い放った。
もちろん、冗談のつもりだった。

夫は私よりも出勤時間が遅いので、
出勤する私をドアまで見送り、
キスをするのが毎朝の習慣だったが、
私はキスをしたそうな夫を無視して、
「じゃあ、ちゃんと洗っておいてね」
と言い捨てて出勤した。

夫はドアの向こうで、笑顔で、
でもほんの少し悲しそうな表情で
「わかったよ、気をつけてね。」
と手を振っていた。

それが、生きている夫を見た最後だった。

その日の午後、会社に電話が入った。
夫が事故にあったという報せだった。
病院にかけつけたとき、
すでに夫は、この世の人ではなかった・・・・。
冷え性の私の身体を、
ベッドの中でいつもあっためてくれていた夫の手、
その手を握り締めたが、とても冷たかった。

あまりのショックに何も考えられず、
呆然としたまま家に帰った。
ふと台所を見ると、今朝洗ってなかった食器が、
綺麗に洗われて、水切りかごにならべられていた。

涙があふれ出てきた。
最後に見たドアの向こうの夫の顔、
そしてあの冷たい手。
その二つだけを思い出しながら、
何時間も、何時間も、ひたすらすすり泣いた・・・・。
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。程なく恋仲に。
あるとき、「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち。」と告白された。
本人は死ぬ気だったらしい。迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのなら、と方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術にこぎ着けた。

どきどき。

成功した。うれしかった。術後も良好。でも、子供は無理。受胎しないだろう、と言われた。
当然、親同士は結婚に猛反対。オレの親は勿論、向こうの両親も。
無視。
無視し続けてもなを、説得も続け、6年掛けてやっと挙式/入籍。

10年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、妊娠できたのなら出産は問題ないだろう、「挑戦しましょう」
おまい、オレの女房だぞ、オレの子供だぞ、大丈夫なんだろうなぁ。

どきどき。

無事出産。3,000g 元気な男の子。あまりに嬉しくて、2寸ほど、宙に浮いていた。
半年後、かみさんに似たような心臓障害発覚。成長しないだろうってどういう事?
「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう。」かみさんの執刀医の紹介で
小児心臓外科の先生にお願いする。十年待った一粒種、殺すなよ。頼むから。

どきどき。

成功した。これ以上ないくらい。あれから15年。ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父。」憎まれ口を聞く、ちょっと小振りな男子高校生が居る。
さえないサラリーマンの普通の一家がある。
かみさんにも、せがれにも言わないが、幸せを噛みしめている。
超ハマってたゲームなのに、友人と奥さんにゲーム機ごと売られてしまいました。
私の同僚(男)の話です。

先日、彼の結婚式(披露宴)に招かれました。
会場は都内のすばらしい式場で、新婦も美人。新郎の幼いころからの友人もたくさん駆けつけ、感動的な披露宴でした。
ただ、仲の良すぎる悪友(?)たちが「ちょっとぶっちゃけ気味かな?」という感じでした。
大変な盛り上がりの中で披露宴はお開きになり、参加者は二次会へ流れ、アトラクションが始まりました。
「あるものを売った値段を当ててください」というクイズです。
そして、会場のスクリーンには、悪友が彼の家からプレステ3とソフトをこっそり持ち出して、「ブッ○オフ」で売りさばく映像が……。
彼はウイニングイレブンというサッカーゲームにハマっていて、アジアNo.1に輝くほどの腕前だと披露宴でも紹介されていました。
しかし、そんな栄冠をあざ笑うかのように、映像では淡々と買取査定が行われ、ゲーム機は店の奥に消えていきます。
当然のことですが、買い取られたゲーム機のデータは、日本一だろうが世界一だろうが「完全消去」されます。
大爆笑が渦巻く会場の中で、一人言葉を失ったままスポットライトを浴びている新郎……。

どうやら新婦は彼の“ゲーム漬け生活”を快く思っていなかったらしく、そこへ悪友がこの“サプライズ企画”を持ちかけたようです。
企画の決行は奇しくも昨日、彼が今日という日に備えて式場に前泊している間でした。
嫁がしょっちゅう黒コゲの料理を出してくるんで、ちょっと危機感を持ってもらおうと思い
エイプリルフールに「会社の定期検診で癌が見つかった」と言った
嫁は少し驚いていたが、その後癌は嘘だとネタバレした途端、めっちゃガッカリされた

あれから一カ月近く経つが、あの日以来、オレは嫁のメシを食っていない
上にコレクションについての話がありましたけど
私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした
鉄道模型でしたけど

かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが
毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい
留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました

帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです

でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり
今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって

あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが
夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい
かえって私が苦しくなってしまいました

これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう

動物系

去年の冬頃の話です。

家族が猫好きなのは小さい頃僕が子猫を拾ってきたからだと思う。
家族全員に懐いていたが、親にちゃんと世話をしなさいと言われたこともあり率先して世話をしていた僕に一番懐いていた。
就職し実家を離れることになり、他界した祖父の家で空家だった家をリフォームしそこで一人暮らしをする事になった。
半年経ち、実家では母が怪我をした野良猫を連れてきて飼うことになった。
二匹仲良くはあるが、一軒家で一人暮らしの僕によく懐いていた前の猫を飼ってみてはどうかと言う話になった。
僕は快諾して前の猫を引き取った。

猫は序所に新しい家に慣れていった。
風呂場の小さな窓を開けておき、いつでも出入りできるようにしておいた。
3日に一回ぐらいは僕の帰りを玄関や外で待っていてくれた。
猫も拾ってから20年近くたち老猫になった。
ご飯も少ししか食べなくなった。
冬になりあまり外にも出なくなった。
ご飯を食べない日が続き、病気かもしれないと思い病院に連れて行った。
20歳と聞いて獣医も少し驚いていた。
病気ではなく老衰だと云うことだった。
点滴を打ち様子を見ることした。
それでも冬を越せばまた元気になるかもしれないと思いご飯を食べない日が続けば点滴を打ちに病院に行った。
ご飯をまったく食べなくなり、仕事から帰って玄関でまってくれている猫を病院に連れて行くという日が続いた。
費用も嵩み、親や病院の先生からも老衰ならば仕方ないのではないかと言われていた。僕もそれはなんとなくわかっていた。
病院に行くのを止め、仕事から帰ったら鼻の頭にミルクを一滴づつつけ舐めさせた。

いつものように仕事から帰ると玄関で猫が待っていた。
いつものようにコタツの布団の上の自分の席に猫が歩いていくとそこにもう一匹の猫が寝ていた。
玄関から歩いてきた猫は寝ている猫と同じ場所に行き同じ格好をして寝た。
僕は涙が溢れてきた。
猫の隣で僕も寝て、猫に腕枕をして頭を撫ぜた。
少し「ゴロゴロ」と言った。
そして少ししたら「フッ」と息を吐いた。
一時間ぐらいそのままにしていたが、親に電話して泣きながら猫が死んだことを話した。
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。
(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。

そのうちの一匹の猫の話。

その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。

次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。

そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。

そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。

決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。

子供達を託すために。
おかーさん。なんでボクだけ、ハダカんぼうやったん?
おかーさん。なんでボクだけ、シッポついてたん?
おかーさん。なんでボクだけ、おててつかんとあるけへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、つくえでゴハンだべられへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、みんなとオシャベリでけへんかったん?


おかーさん・・・。なんでボクだけ、さきにしんでしまうん・・・?
なにぐずぐず言うてんの。よう聞きや。
世の中どうしようもない事があるねん。いちいち愚痴言わんといて。
よう考えてみぃや。かーちゃんとあんたらは目ぇが二つ、耳も二つ、鼻は一つで同じや。
お口かて一つで中も同じような形してるがな。体かて同じようにぬくいやろ?
同じ様にできてるんや。

死ぬ時っちゅうのは、たまたま早いか遅いかの違いで、かーちゃんもちゃんとそっちに行きます。
心配性な子やな。誰に似たんやろ。

あんたらはかーちゃんの子やから。いつでも、いつまでも、かーちゃんの子やねんで。
不足言わんと、もうちょっとええ子にして待っといてちょうだい。
僕はご主人様に拾われました。
毎日、おいしいご飯をくれました。
外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。
いつも、いっぱい遊んでくれました。
たまに、イタズラして怒られました。
けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。
ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。
そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。
いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。
いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れて行ってくれました。
病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。
家に帰っても、ご主人様は泣いてました。
だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。
そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。

数日後…僕は体が動かなくなりました。
ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。

僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。
ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。
僕はすごく幸せです。おやすみなさい。
僕は…眠りにつきました…
犬「眠るの!?僕、眠るの!?ねぇ!今!ここで眠る!?」
飼い主「あぁ、眠るよ」
犬「本当!?大丈夫なの!?ただ疲れただけじゃない!?」
飼い主「あぁ、15年も生きたから大丈夫だよ」
犬「そうかぁ!僕犬だから!犬だから歳わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬「うん!でも15年も生きたんだ!そうなんだぁ!じゃぁ眠っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。いいんだよ」
犬「よかったぁ!じゃぁ眠ろうね!穏やかに眠ろう!」
飼い主「うん、眠ろうね」
犬「あぁ!15歳だから大往生だね!ね、ご主人様!」
飼い主「うん。静かに眠っていいよ」
犬「あぁーご主人様は今ぼろぼろ泣いているよー!笑って見送って欲しいよー!今までありがとねぇー!」
猫視点

この前病気になったんですよ、末期のね。
で、生まれて初めて飼い主との別れを経験したわけですわ。
正直最初は別れって簡単なもんだと思ってたのよ。
野良猫時代は普通のことだったからさ。

あのね、俺が間違ってた。あれは猫が経験するもんじゃない。
冷血動物だね、は虫類だけが耐えられるものだよ。
最初に動物病院に入った時さ、
めちゃめちゃ痛くて脚そろ~って動かしてそろ~っと尻尾ひきずったのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか体が動かなくなって診療台の上でへたりこんじゃったのさ。
そしたら飼い主がさ「苦しいのか」とか目で訴えてくるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。

だからニャーンて鳴いたのさ。えぇ、そりゃもう鳴きましたとも。
全てを忘れて鳴いたよ。家に迷い込んだ時のヤツの暖かいまなざしとか、
初めて膝で寝たときにホントに気持ちよかった事とか、
エサをくれる時の呼び声とか色々思い浮かんでくるのを頭から振り払ってね。
だって長引くと飼い主がつらいだろうって思ったからね。

そしてらエライ事になった。
もうすごい即死。そして飼い主のすごい涙。幅3cmくらい。
昔の漫画だけど星飛雄馬やはだしのゲンにも負けない。
それで横見たら飼い主がすごい悲しそうな顔を俺の方に向けてんの。
ホントごめんなさい。

正直「飼い主を苦しみから救ってやるのが義務だぜ!」なんて
見栄張らないで素直に最後まで悪あがきしてやればよかった、
せめて自然に任せて死ねばよかったと思ったよ。
心の底から承諾書にサインさせた事を後悔したね。

でも埋葬が終わって天国で「飼い主って寿命ありすぎるよな!
これだから人間は。今度は長生きするカメにでも生まれるか」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ猫。

…もう泣かないで下さい。
Q.通ってくる野良猫が大変にずうずうしく、困っています。

始めは家の外でみゃーみゃー鳴いて飯をねだる程度だったのですが、この寒空、外は辛かろうと一度玄関に泊めたのが運の付き。

それから飯をねだるだけでなく、毎日家の中に入ってきて、6kgの巨体でホットカーペットを占領するようになりました。

野良の分際で、根が生えたようにホカペから離れず、

家人が部屋のドアを開け閉めすれば寒いと鳴き、

部屋から人がいなくなれば誰か来いと鳴き、

人が来たら来たで撫でろと鳴き、さらには膝に乗せろと要求する始末。

それでいて、自分が外に出たいときにはとっとと窓際に行き、夜中だろうが家人が寝てようが窓を開けるまでおらび倒します。

こやつ、一度私にとっ捕まって去勢手術されたのですが、拉致して痛い思いさせた相手の前だというのに腹出して寝ている姿を見ると、野良としての矜持はどうしたと小突きたくなります。

どうすればよいでしょうか?

A.あなた以外はみんな気づいていると思いますが、その猫は野良猫ではなく、あなたの飼い猫です。いままでどおり、やさしく世話してあげてください。
俺18歳なんだが今年で18年目になる飼い猫がいる つまり俺と同い年なわけだ
どんなに記憶を遡ってもそいつがいる

本当に兄弟のように一緒に育った
布団の中に入ってくるし、寝るときに部屋に連れて行かないと廊下で入れろと鳴く
餌は好き嫌いが多いし、甘えてきても腹がいっぱいになれば呼んでもうるさそうに振り向くだけ
でもそんなとこも妙に可愛い

でもそいつもこの数ヶ月で急に衰え始めた
餌が食えない 階段が登れない 一度横になるとなかなか立ち上がれない

病院に連れて行ったら老衰だった
覚悟をしていて下さいと言われた
胸が苦しい 言葉がでない

半年前なら外に連れ出せばすぐに走ってどこかに行こうとしたのに今は腕の中で丸くなってるだけ
こんなに軽かったっけ?こんなに細かったっけ?
事故で死んだりするのとは違ってゆっくりと確実に終わりに近づいていく

こんなに悲しいなら飼わなければよかった
だけどこいつがいなきゃ嫌だ
死んでほしくない
あと20年ぐらい生きてほしい

神様お願いだよ
家族を連れて行かないで…

切ない系

272 名前:名無しさん 本日のレス 投稿日:2008/03/30(日) 17:11:52.77 /qGntVed
大学での話。 ある授業で同じクラスになった中国人留学生の女の子。
以前から、ちょっと可愛いなって思っていたんだ。
そんなある時、その子の携帯の画面がチラっと見えてしまったんだけど、
受信メールには「老公」という文字がビッシリ。
おじいちゃん大好きな子なんだろうなあ。って思ってさらに好きになりました。

388 名前:名無しさん 本日のレス 投稿日:2008/03/30(日) 17:20:08.83 hIj+1NUy
>>272
「ダーリン」 くらいの意味だってさ。

393 名前:名無しさん 本日のレス 投稿日:2008/03/30(日) 17:20:58.34 /qGntVed
>>388 ・・・死にたい。
1 名前:名無しさん 投稿日:2005/11/24(木) 23:55:11 hU9mnop30
とっても大好きな人がいるのにワキガなんです。
匂いが気になって告白も出来ません。
それともこんなことを気にするなんて器が小さいだけなんでしょうか?


12 名前:名無しさん 投稿日:2005/11/25(金) 00:19:21 LimwGyiE0
> 1さん
よくわかるよその気持ち。私もワキガだもん。
つらいよね、、、クラスのみんなからバイキン扱いされるし。
恋なんて出来ないってあきらめかけたりもしたよ、、、
でも今は治療でなおせるらしいからお互いガンバロ!


15 名前:1 投稿日:2005/11/25(金) 00:22:17 hU9mnop30
>> 12
私じゃなくその好きな人がワキガなんです。


16 名前:名無しさん 投稿日:2005/11/25(金) 00:23:49 oiK1KmFj0
以降このスレは>>12を励ますスレになります
個人的に衝撃的だった事実

87 名前: ホッチキス(長崎県)[] 投稿日:2009/12/11(金) 23:27:53.61 ID:WJfUJN9K
こないだ俺が入った国道沿いの露天風呂が
足湯として紹介されていた
教会での結婚式に参列していた小さな男の子が小さな声でママに訪ねた。

「 ママ。あの女の人ドレスはどうして白いの? 」

「 白いウェディングドレスは,幸福の色なのよ。 人生で一番幸せな日に着るのよ 」

「 フーン 」 男の子はしばらく考えて,また聞いた。

「 じゃ,ママ。なんで隣の男の人は黒い服を着てるの? 」
九州から出てきた友人と久しぶりに呑んだ。あんまりうるさい店は
二人とも嫌いなので、おでんの屋台で呑んだ。

「えーとね、竹輪」
「あ、おいも」

「それと、はんぺん」
「おいも」

「あとは、お、うまそう~、大根と卵ね」
「おいも、おいも」

俺は竹輪とはんぺんと大根と卵を堪能した。友人はジャガイモを4つ
食っていた。
自分の声とか歌声とか聞くと改めて落ち込むよな

自分で半分本気・半分謙遜で音痴だ音痴だと普段から友達に言ってるが
実際自分はそこまで音痴じゃないんじゃないかと思って
自分の歌を録音してみたら、本当に音痴でしばらく立ち直れなかった
「パパ、割り算の『あまり』って何?」
「例えば37人のクラスで3人組を作るとするだろう。そうすると組はいくつできる?」
「うーんと、12」
「でも組になれてない子もいるだろ?」
「うん、1人いる」
「それが中学生の頃のパパだ」
「パパ……!」
「パパ~馬鹿って何~?」
「相手に何かを伝えるとき、簡単に済むことでも、
わけのわからない長ったらしい方法で伝えようとしてしまって
結局相手に何が言いたいのか伝わらなくなってしまうような人のことだよ
わかったかい?」
「わからないよパパ」
うちの息子も1年生。さっそく、学校で「初テスト」を受けてきたらしい。

問「おさかなは1ぴき2ひき、とりは1わ2わと数えます。ではウマは?」

答「1ちゃく2ちゃく」

回答用紙を見ながら涙が出た。
娘を連れて実家に行ったときの話

私の実家には先祖代々の写真が飾られたいるんですが
それを見た娘が母に
「おばあちゃんの写真は飾ってないの?」と聞いたのです
写真がないことがわかると 娘はこんなことを言ったんです
「かわいそうに、おばあちゃんの写真も早く飾られるといいね」
そんなことより聞いてくれよ
この前初めての合コンで王様ゲームやったんだよ
そしたら一番可愛い女の子が王様になってさ
「もしかしたら俺とチューなんてことも・・・・」なんてワクワクしてたら
「おまえ帰れ」って命令された
どこに嘘があるか解からない三次元より、はじめから全て嘘だと解かっている二次元の方がいい
うちの姉ちゃんがスーパーでバイトしてた時の話
果物つんでる姉ちゃんにカコイイ兄ちゃんが近寄ってきて
ささやくように
「ねえ、次の休みいつ?」

姉ちゃんしどろもどろになりながら
「バッバイトしてんのは土日だけですっ」

すると兄ちゃん3秒ほど考え込んだ後
口調を正して申し訳なさそうに
「すいません、お店の定休日を聞いてるんですが」
だいぶ前に某飲食店の「お客様の声」に、駐車場を増やして欲しいです、と書いておいた。
後日その店を訪れると、店のあった場所に広い駐車場ができていた。
運動するするって言ってやらずにおやつ食べまくってたら

いつかする いつかするから いまはねる
おなかのぜいにく いつきえる

って書いた紙がトイレに貼られてた
旦那、すまん
ある休日俺は友人2人とドライブに行った

友人Aが車を運転しながら

「こうして3人で集まるのは久しぶりだな」

助手席で俺は携帯をいじりながら

「そうだな、今日は楽しもうぜ」

後部座席で友人Cが携帯を片手に

「キャハハハ、心配するなって他の女と一緒じゃないよ

男しかいないって!和美は心配性だな~・・・・・」

Cは最近和美という彼女ができたらしく、俺達に彼女の自慢話ばかりしてくる、

おまけにさっきから俺達との会話そっちのけで彼女とずっと電話している

俺と友人Aはうんざりしていた



「そういえば俺メルアド変えたんだ、最近迷惑メールが多くて

いまからみんなに新アドレス貼ったメール送るね」

「おう!送ってくれ」



「ところで今度のデートはどこ行きたい?和美の好きなとこでいいぜ・・」

俺は彼女との電話で浮かれているCを無視して友人全員にメールを一括送信した

「ピロピロ~♪ピロピロリンリン~♪」

「チャラチャラ~♪チャララララ~♪」

車内に2つの着信音が響き渡る、よかった無事に届いたみたいだ

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